FXで求められる選択は日常のそれとは随分違うと思うのです

社会生活をしていく中で「アカン!」、となっていることがある。人間が社会とともに生きていくとき、選択を迫られることは多々あるが、でもそれって本当に選択しているのだろうか。なんて思う。

完全に自分で決めていることは、実は結構少ない(無いかもしれないとすら思う)。自分の選択の根っこ部分をよくよく観察してみると、流れや雰囲気、そういうものでしょ、当たり前、そういった「何か」に、ある種圧迫されて決定ボタンを押していたりする。

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自分で決めてるって思っていても、実際は消極的な選択が大半じゃないかね

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「やってはイケないよ。」ということになっている事柄がある。校則などはいい例だと思う。学生は髪を黒にしましょう。制服はキチンと着ましょう。ということになっているので、「守らない」という選択肢を敢えて選ぶのはリスクもエネルギーも必要になる。実は、それを守るか守らないかという決定権は自分が持っているのだけど、この事実は意識の表面には出にくい。

では、これらを守らない学生さんが、完全に自分の意志で「破る」という決定をしているかというと、そうとも言えないと思う。彼らにとって、学校とは別の流れや「何か」が、学校のそれよりも強く存在し、ある種の消極的な選択の結果として「破る」というのを選んだとも言える。

つい最近、友人の結婚式に行ってきた。数年ぶりにスーツを着てネクタイを閉める。真夏の炎天下にこの着物の滑稽さときたらない。ギラギラと大地を照らす太陽さんが「うっわぁ~。人間ご苦労さん(笑)」と苦笑いしているような気がする。

気温と服装、2つの要素だけ掻い摘んで考えてみるとなんと不合理な着物なことか。つまり暑すぎる。しかし、式ではキチンとネクタイを閉めるし、更にその上に背広を羽織る。僕はスーツを着るという選択を積極的に行なったのかと問われると、違うと答える。

それが悪いとか良いとか、そんな話をしたいのではなくて、僕たちは完全に独立した形で何かを決めることなどとっても少ないのだと思う、ということ。「何か」に沿う場合でも、それから逃れる場合でも、大半は消極的に選択している場合がもっぱらではないだろうか。

FXという仕事はガチで自分の決定が連続する、そして我々は基本的にその作法には慣れておらんのだよ。

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FXというのを仕事として考えてみると、独立した自分の決定の連続であるのだと思う。つまり、ポジションを建てるとき(あるいは閉じるときも)、それに圧力をかける「何か」は存在しない。少なくとも個人のトレーダーには。

自分の決定による行動が、文字通り直接的に金銭と結びつく。ぼくらは基本的にそのような決定の作法と、その決定がもたらす結果について、更にはその責任の取り方に慣れ親しんでいない。と感じる。

恐らく、だからこそ、自分の決定が引き起こしたネガティブな結果を、意識できないレベルで振り切る必要が出てくる。ムカついたり、悲しくなったり、無気力になったり、恐いと感じたり。これらの反応は不慣れな行動、つまりかなりの程度独立した決定により起こる結果を発散する行為なのだろう。

結局のところ、ぼくたち人間は「何か」に動かされることに慣れきっているのだと思う。トレードで言うならば、感情に決定の流れを作らせることを、きっと心の奥底で望んでおるのだと思う。意識的にはそうではないと抗おうが。

ではどうすれば、自分の決定を「何か(感情)」に委ねることなく取引を行うことが可能なのか。そんなものは知らん(笑)

言えることは、これらFXトレードを通して引き起こされる「何か」の存在を知り、認めてやるという意識は大切だということ。

アナタは自分の行動の結果、「ムカついている」「ダルい」「恐い」という何かを抱えることになる。これを前提として、抱え過ぎたときにどう行動すべきかを工夫してやること。また、自分が抱える感情の段階みたいなものも感じるようになる。「あ、ザワザワしてる・・・。これアカンやつや・・・。」みたいな。こういうのは資産を守ることに役立つ。

FXを通して経験する決定や選択というのは、日常で行なっているそれとは随分と質の違うものだなぁ。と思うと、理由は分からないが少しFXが好きになる(笑)

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ちょっとした反応があると、単純なボクは喜んでしまい、更新頻度とか上がりますw

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